仕事が休みの時や、帰宅してからの時間帯で、暇な時は近所の公園まで散歩するのが日課でしたが、2~3週間、何となく体がだるく、何もする気がおきず、酒を飲んで寝るということの繰り返しで、ごくごく当たり前の生活をおくっていました。
そんな時、近い年の知人が、急に亡くなりました。
夜、介護している親の枕元で横になっていて、朝には冷たくなっていたという、とてもショッキングな出来事がありました。
それから、数日後でした。
その夜は、テレビで釣りバカ日誌を見ながら酒を飲んでいました。
明日は休みだし、のんびりと、そしてたっぷりと飲んだ後、眠くなり寝ました。
そして夜中に呼吸が苦しくなりはじめ、何度寝がえりしても行きが苦しいのです。
そのうちに吐き気がしたため、トイレに駆け込んだのですが、口から出るものは無く、ただ目が回り、そのうちに下痢の予感がしてズボンを降ろすと、何度か下から出ました。
なんだ下痢か。夜食べたツマミで何か当たったのかと思いながら、再度床につきました。
しばらくしないうちに、背中から心臓をえぐり取られるような痛みを伴い、どのように寝ても息ができなくなりました。
そうこうしていると、再度吐き気がしてきたので、トイレに駆け込みました。
しかし、今回は何も出るものは無く、床に戻ろうとしたのですが、ベッドの柔らかさで、どのように寝ても息が苦しいので、1階のリビングの板の間で横になると、背中にあたる床の硬さと顎を上げると、なんとか気道が開くことができ、呼吸することが楽になり、そのまま眠ってしまい、朝を迎えました。
朝、胸の痛みは無く、何となく体がだるいだけで、食欲も無く、1日中ゴロゴロしていました。
夕方、風呂に入ったのですが、体が全く温まらず、まぁ良いかと気にもせず、そのまま寝てしまい、数時間後にゾクという悪寒体の中を掛け抜け、やばい、風邪をひいたと思い、かぜ薬を飲んで、びっしょりと汗をかき、下着を取り替えた後、朝までぐっすり寝て、熱も下がり爽やかな朝を迎え、そのまま仕事に出掛けました。
仕事場近くのソバ屋で朝蕎麦を食べて、さぁ仕事だといつもどおり仕事に掛かりました。
しかし、仕事中に目が回りだし、立っていられなくなる事が3回もありました。
そうなると、横になってゆっくり呼吸すると2~3分で回復しました。
これはおかしいと、確信しながら一緒に仕事している人からも明らかに異常だから、すぐに医者に行くように勧められました。■■■
翌日の朝一番で、総合病院に向かう。ここは数年前から高血圧で2ヶ月に一回の割合で通っている病院。担当は内科の◯◯見ドクター。しかし、このドクターは本日は休みである。
一応受付で、症状を話したところ専門官の人が、内科でしょうとのことであったが、自分の担当ドクターが休みである旨伝えると、「予約外」ということで他のドクターが見ますがどうしますかと聞かれ、それでも構いませんと答えると、症状等を詳しく書きだすように言われ、事の顛末を書きだし、提出して暫くして、レントゲントと心電図を撮るよう指示を受ける。
そうこうしていると、本日の担当ドクターに呼ばれ、診察が始まると、以前の心電図のデーターがあり、それと見比べると明らかに、心筋梗塞の症状であり、目が回ったことや立っていられなかったこと、吐き気等は心臓からの「SOS」サインです。と言われ今日はこのまま緊急入院ですと宣言された。
そのまま処置室という所に連れてゆかれ、更に着替えてベットに横になるよう言われ、言われるがまま、お任せしていると、両手に点滴が射され、胸に心電図が取り付けられて、そのまま病室に連れてゆかれてしまった。
集中治療室は空きが無く、ナースステーションの目の前の410号室と言うのが聞こえてきた。
色々な薬の点滴で、食べて寝ての繰り返し。
それでも眠い。なぜかと聞くと、血圧を下げているからではないかとのお答え。それだけでは無いと思うがわからない。
今だに尿瓶におしっこをするのは、抵抗があるが、ベッドから降りられないのでは、仕方ない。
もしも、大をもよおしたならば、同室者の様にナースに連絡して、一緒にトイレまで行って座り込むらしい。
嫌だ。トイレの大だけは、なんとか我慢しようと心に誓う。
そう言えば、この部屋はナースステーションの直近で、何かあれば、ナースがすぐに飛んでくるという部屋。
よって私と同じように緊急で入院した人も来れば、夜中になると必ず、点滴や心電図を外して家に帰ろうとする、ボケた老人がいて、夜中一晩中賑やかな部屋であるが、その為に寝不足気味でもある。
緊急入院3日めの朝、
「今日、部屋変えです。」
とナースの声が天使の声に聞こえた。
昨日来た新人も同じく部屋替え。早いなぁという感想だが、あのボケた老人はここに居座るようである。一般病棟では無理との判断らしい。
新しい部屋は10階の4人部屋の窓側。先客は1人。
軽く挨拶をした後、点滴をつけたまま部屋の中なら歩いて良いとの許可が降りたので、そのまま、トイレに駆け込み、すっきりと出す。
その後ひげを剃ったりと久々にかなり濃厚な時間を過ごしながら、明日のカテーテル検査及びステント治療の説明及びを承諾書を書く。
この部屋は静かで、とても良い環境である。ナースステーションからも遠く、緊急性の無い患者と判断されたようである。
本日のカテーテルは、午後3時からの予定で、朝食を食べた後は昼食抜きで待つように指示があった。
間もなく、開始時間と迫った時に、緊急のカテーテルが入り、待ったが掛かる。
その後もう1件緊急が入り、自分の開始時間は午後6時50分とかなりの時間オーバーとなる。
その為、ステント治療はやらずに、造影剤でカテーテル検査のみの予定変更であると告げられた。
処置室は映画のワンシーンのような色々な機材が並び、FMラジオが流れている所で、カテーテルを挿入する右手首付近は麻酔が効いているが、それ以外は意識がしっかりした中での開始である。
それでも右手首から管が入る感覚ははっきりわかるが、痛さは無い。
が、インディージョーンズの映画だったか忘れましたが、生きた寄生虫の様なものが人間の体に入り込み、ズンズンと進んで行ったようなシーンを思い出しながら、管が進んで行くのがわかり、更に追い打ちするかのようにドクターが現在地を逐一報告してくれ、間もなく心臓ですよと。
この説明がなければ、さほど気にもせず済んだろうにと思う。
そうこうしているうちに造影剤が投入されたようで色々な声が聞こえてくる。
この若さで・・・。
ステントは無理だな・・・。
時間的にはあっという間の出来事で、カテーテルは抜き取られ、その穴は10気圧の小型空気入れで押し付けられ、ふさがれた。
部屋に戻ると30分後にドクターが別室で説明があるので来るように言われ、家族と共に説明を聞く。
今やった作業の動画を見せられ、つまり自分の心臓付近の動脈の様子が綺麗に映し出された画像の第一印象は、盆栽の鉢変えの時のような、はたまたビオトープの水草の植え替えの時のような、長く伸びた根っこの様に見え、そこで心臓近くの管は太いが、だんだんと先に行くと、節が見え、そこが詰まりかけているとのこと。
その詰まりかけた不具合な所が1カ所でなく、5~6カ所あるので、カテーテルによるステント治療は不向きで、バイパス手術を勧めるとのお話。
ドクターがそう言うなら従うしか無いでしょ。
更にバイパス手術は当院ではやっていません。
いくつか候補があり、決まればこちらから紹介状で連絡しますとのこと。
そしてやっと、夕食。
午後9時を過ぎていて、昼食を食べていなかったから、かなり空腹である。
ドクターがとりあえず挙げた病院は
① 葉◯ハートセンター(葉◯)
② 東◯済◯会◯院 (鶴◯)
③ 横◯市◯病◯ (金◯)
の3カ所。
調べればもっとありますが、と言われたって何を基準に選択すれば良いのか、わからない。
とりあえず、②、③は総合病院らしい。恐らくインターン生徒の良きサンプル画像になりそうであると言うのが、第一印象。
どうせなら別荘地帯の①が良いのではないかと、家族で決まりました。その後、全国の病院ランキング等なる本で見る限り、この①が県下でかなり名前が通っている、専門病院であることが判明し、後からですが、スタッフ一同がプロの集団で、この①を選択したことを何度も感謝することになりました。
ドクターにその旨伝えると、すぐに返事が返ってきて、受け入れOKであると判明しました。
さらに持参する資料として、こちらで出来る限りのデーターを取って、向こうに迷惑がかからないようにとの配慮だと思いますが、色々な検査と撮影に追われました。
そして明日、明後日の土日を挟んで月曜日に転院することが決まりました。その間発作が起きないように、相変わらず点滴等を持参しながらの移動でしたが、同じフロアーなら歩いて良いとの許可に伴い、色々な方のお見舞いの訪問を受け、病室を含め、コミュニティーフロアー等でお話することができました。
いよいよ、転院。しかし、今までの入院費を精算してからでないと出してくれない。まぁ当然か。
そして転院であるが、この方法について自分では驚いているし、万が一にも関係者の方がこのグログを見たら、不快感を感じるであろうから、その方法については省略します。
転院先の病院に到着すると病院関係者の皆様から個別に挨拶を受け、更に入院から退院まで全てを調整するコーディネーターなる方がいて、全て説明してくれ、こちらの不安等の質問にも完璧に答えて頂き、何の不安もなくなり、この病院を選択して正解だったと家族とともに安心しました。
さらにバイパス手術は木曜日に実施し、前日に執刀医から家族を含め、説明があります、と言われ転院してくる段階ですでに予定を組んでいてくれていたようで、事がドンドンと進んでゆく感じがしました。
さて、お話も終わり、荷物整理も終わらぬうちに腕に点滴を取り付けられ、更に携帯型の心電図を付けられ部屋の中での歩行は許可され、すぐに心電図、レントゲン、MRI等の検査が始まる。
部屋は4人部屋で廊下側2人、窓側2人の配列。すでに3人の先客がいて、私は廊下側のベットとなり、3人ともカーテンが閉まっていて、挨拶しようかと思ったが、電車のボックス席に座ったと思えばいいやぁと考えた。なにかの折に顔があったら、挨拶すればいいと決めた。
手術の日程が決まり、それまで暇かと言うと、そうでもなく色々な検査(両腕、両足同時の血圧測定や両足の付け根からつま先に向かった動脈の位置確認他)が次から次へと進み、更に麻酔担当ドクターや執刀医からの手術の説明を聞くたびに、かなりブルーになってゆく自分がわかりました。
要約すると、手術が始まると麻酔ですぐに意識がなくなります。その後機械的に口を開けた状態にして、気道に管を入れます。それから首に動脈管を2本入れ、さらに食道に別の管をいれます。
それから、胸の胸骨を切断して、人工心肺で血液を送りながら手術を進行してゆきます。等々・・・。
次いで手術後集中治療室で必要な物を揃えておくように言われました。
パンツ 3枚
ティシュペーパー 1箱
歯ブラシ 歯磨き粉 水のみ
T字体 電気カミソリ
更に麻酔同意書、輸血・特定生物由来製品使用同意書、身体行動制限(拘束・抑制)に関する説明・同意書、そして手術同意書等にサインして後は手術に向かうだけと、気楽に考えていましたが、前記の通り、手術の実態が判明されてゆくと気が重くなってゆくのが自分ではっきりと分かりました。
しかしながら、集中治療室はすぐに出てこれると、完全にナメていました。
昨夜は看護婦から睡眠剤を飲むかと聞かれましたが、ことわりました。
不安で寝付けない人がいるため、聞いたそうですが、全く気にせず寝てしまいました。
ここいらが、ナメテいたところだと思います。
当日の朝もいつも通り、朝食を食べた後、検査着に着替えて呼び出しを待つと、家族が到着し、すぐに呼ばれたので手術用のベッドに乗り、家族に見送られながらそのままエレベーターに乗り込み、手術室に向かう途中長い廊下だなぁと思いながら、手術室に到着すると、回りに大勢の人の気配があるのですが、すぐに麻酔がかけられ、気がつくと手術は終わっていました。
もちろん、この間の記憶はありませんし、後ほどドクターから色々と聞かされ、また色々とその結果の映像を見ることによって、本当に手術をしたんだなぁと思いました。
ここからは家族からの証言ですが、午前9時20分に手術室に向い、午後2時20分に手術が終わりましたとの連絡を受けたそうです。
その後午後3時20分にドクターとともに私と面会したそうですが、ほとんどと言うか全く記憶にありません。
その後時間の経過はわかりませんが、うっすらと記憶が戻ると、息苦しい。
そう、口から管が喉の奥まで入っていて息ができない。その辛さで何度も目が覚める。気管に管が詰まり、呼吸したくてもできない、涙目でナースにジェスチャーで訴えたが聞いてもらえず、時間的にはいつだったのか、全く分からないが担当のドクターが回診(?)に来た時に訴えたところ、いいでしょうと管をはずしてもらった。これでスムーズに呼吸ができる。空気がおいしい。
呼吸出来る喜びもつかの間、どこが痛いのかわからず、ただただ、意識が遠のく。その後何度も意識が戻るのだが、すぐに意識が遠のいて行き、時間の経過が全くわからない。
只、窓から入る光で、今が夜なのか、昼なのか、判断したが、夕方だと思っていたら、明け方だったように、体内時計は全く狂っていました。
痛さで目が覚めるが、相変わらず時間がわからない。そんな中、リハビリチームに起こされ、ベット脇に立たされたことは覚えている。すでにリハビリがスタートらしい。
咳が出ると、全身に痛みが走り、寝ていても飛び起きてしまう。そしてナースに横に向いて寝たら楽よ、と言われ、試すと確かに息が楽で、そのまま気持ちよく寝入ってしまうとナースに突然起こされ、体の向きを変えるように指示を受ける。なんでも肺の機能を元に戻すため(潰れた風船の様になっているから)左右に寝返りをしてそれぞれの肺を元のサイズに戻すためだとのこと。
しかし、横向きで楽に息ができる状態からいきなり、逆に向きに寝返るのはかなり重労働である。(この時ベット脇の柵のありがたさを痛感した。)
傷口は痛いし、咳をすれば、全身に響くし、その咳の時にタンが出たらティシュに吐き出すように指示を受けた。
このタンを出す作業がまたつらい。タバコをやめて約10年になるが、このタンは、タバコを吸っていた時の財産だと嫌味をいわれた。タバコを吸わない人はこのタンが出ないらしい。咳をしながら痛みを我慢してタンを出す作業、これはやった人でないとわかりにくいだろうし、これ以上説明しようがない。この辛さはいつまで続くのだろう。先行きの見えない不安でいっぱいになる。
昼夜、痛みは相変わらずだし、咳をしてタンが出る時の痛みも変わらない。しかし、喉が渇いた。水が欲しいと訴えるとお腹に管が何本もささっていて、その内の1本が胃につながっているそうで、この管が取れないと水は飲めないと言われた。しかし、ナースさん達は、慣れたもので氷なら大丈夫よと言いながら、冷蔵庫から氷1カケラを口に入れてくれた。
美味い!氷がこんなに美味しいとは・・・・。些細な事で感動してしまいました。
どのナースさん達も慣れたもので、ダメよという人は一人もいなくて、中にはコップに2個いれてきて、その2個をいれてくれた 人もいました。
痛みは変わりませんが、突然ドクターが来て、お腹の官の1本を抜くよと言われ、パジャマの前を広げるとハサミで管を止めていた2~3本の糸を切ったとようで、
「はい、息を吸って~、はい止めて。」
体感30~40センチの管を抜く感触を感じた。
「これで、水を飲んでも大丈夫だよ。」
と言われ、すぐに水を要求。
しかし、氷の時以上にゆっくりと飲まなければと、自分に言い聞かせながら・・・、体の隅々まで水が染みこんでゆくのが感じられ、美味い!!
水がこんなに美味しいなんて・・・・。氷の時と同じか、それ以上の感動でした。
水を飲めるようになり、調子に乗りすぎ飲み過ぎてしまい、それに伴い、咳が誘発されて出てきて、タンもでてくる悪循環であった。
それを見ていたナースが睡眠剤を飲むかと言われ、今まで飲んだことが無かったが、睡眠剤を飲めば、夜が楽かもしれないと安易な気持ちで飲むことにした。
しかし、翌朝気がつくと、着衣も布団のめちゃめちゃで、かなり暴れたみたいで、夜中に何度も咳をしてタンを出したのも覚えているし、更に左足のひざのお皿付近がかなり痛い。夜中にベット脇の柵にかなりの勢いで蹴りを入れたようである。
この痛みはかなりの期間続き、もう2度と睡眠剤は飲むまいと心に誓った。
夜中寝てからの痛みと眠気の相反する用件を何とかならないかとナースに聞くと
「貧血気味だから、輸血したら改善されるはずだ」
と複数のスタッフからも同意見であった。
よって、回診に来た時にドクターにその旨伝えると
「最初は、本人が輸血を嫌がっていたし、ここまでくると(日数的なもの)もう少しがんばってもらおうかと思う。あなたの年は若くて、先がまだまだあるし、それに輸血すると、100%完全な物で無く、あなた自身へ万が一にも感染症が、と考えるとやりたくないのが本音です。しかし、どうしてもやるというなら、私がこれ以上止めることはできません。」
とのお返事。
オウム返しで
「輸血してください。」
とお願いして、ようやく輸血されることになりました。
輸血をした後は、携帯電話をカラッポ状態から充電したように体の芯からモリモリと力が湧いてくる感覚がしました。
この日の夕食から配膳される。
茶碗蒸しとゼリーと缶詰のみかん、とアイスクリーム。
アイスクリームなんて子供の頃食べたきりで、最近食べた記憶がないが、こんなに美味しいと感じたことはなかった。
「はじめの一歩」という漫画で。鷹村がブライアンホークに勝って世界チャンピオンになって、最初に食べて美味しかったものはと聞かれて、(おにぎり)と答えた時の感じでした。
この食事をする時に、ベットの側面に足を出し、座る姿勢がとても楽で、食事を終えた後もこのままの状態で、暫く座っていたいと申し出ると、そのほうが肺も広がるから、良いですよとOKとなる。
寝たままの状態で何十時間過ごしたのだろう。こんな些細な事で、感動してしまうとは。
夜寝ていると酸素吸入量が少ないのでと、戦闘機乗りがするような酸素マスクを装着するように言われた。
これはかなり、強制的に酸素を口の中に送り込んでくれるので、自分で呼吸するよりもずいぶん楽でした。
しかし、難点は口の中がカラカラに乾いてしまい、自分でマスクを少しずらして、口の中の乾きを舐め取って、休んでいると、ピー、ピーと警告音が鳴り響き、すぐにナースが飛んできて、大丈夫ですかと聞かれる。
その内、ナースの方から、1時間で止めますかとか、2時間くらいで止めますかと聞かれ、慣れればこの機械での強制吸入にはかなり助けられました。
体に埋め込まれた管もどんどん摘出され、食事も取るようになって、お腹の中が活動し始め、ゴロゴロいいだし、たまにガスも出始め、不安がよぎる。
小便は管がまだ垂れ流しであるが大便がしたくなったら、どうするのだろうと。
思い切って、ナースに聞くと、このベッドの上で寝たままで、おしりの下に便器をセットすると言われた。
えっ? このままの状態で?
我慢しよう。その旨ナースに伝えると
一応オムツをして寝る?
と聞かれ、漏らすよりはいいやと、オムツを装着してもらう。
オムツの厄介にはならずに済み、朝を迎えることができ、ほっとして、食事をしているとかなりお腹が活発に活動し始め、ナースを呼ぶと、ナースも交代していて、その旨話すと、ベットの脇に簡易トイレを設置してくれ、ベット回りをカーテンで囲ってくれました。
しかし、あまりリキマないように言われ、ゆっくりお腹に力を入れると出てくるのは気体(ガス)ばかりで、本命は全く気配が無かった。
あまり焦ることはないやと思い、打ち切ることにした。
隣のベッドから聞こえてくる、私の後から来た人が本日一般病棟に戻ると聞こえてきた。
私より後から来て、更に私ほどの苦しみを経験しないで。
私が痛みで、のたうち回っている時に、ナースに何度も聞いたのです。隣は85歳の老人なのに、なぜ痛くないのかと。
答えは簡単。あなたが若いから。若いと痛みをかなリ感じるらしいけど、老人になると痛みがあまり感じないそうです。
そうなのか、ここで50歳代なんて、小僧扱いなんだ。
若いから痛みが痛い。年を取ると当たり前のことが当たりまでなくなる。納得したようで、納得しない。
とにかく、隣は今日一般病棟か。と考えていると、すぐに
あなたも、今日一般病棟に戻るわよ。
と言われた。
こんな痛みばかりの状態で戻って大丈夫なのかと聞くと、
もっと大変な人は大勢います。
と言われた。
数えると、この集中治療室に6日間も滞在してしまった。2~3日で出れると考えていましたが、輸血を拒否したため日数が伸びたと自己分析しました。
そうこうするうちに一般病棟のナースさんがお迎えで、車椅子で転進しました。
その経路を車椅子で押してもらい、進んで行くと、集中治療室はかなり厳重な作りであることを知りました。
一般病棟に戻ると、何と手術前にいたお部屋。しかし、廊下側は同じでも反対側のベッドでした。
まぁとりあえず、部屋の中での歩行は許可されました。
ナースから連絡がいったようで、家族も早めに顔を出してくれ、これからはリハビリが中心だからと、ブルーレイの携帯プレイヤーを持参してくれた。
部屋が変わって寝れないかと心配していたが、いつの間にか朝になっていて、気合の入ったナースさんに起こされた。
そして、今日、全ての管も点滴もエアーも外しますと宣告され、すぐに当直明けのドクターが来て、手際よくどんどん外され、完全に外されてから、
一言、
トイレに行って良いですか?
もちろん、オーケーで、久々にトイレの便器に座り、構えるが、全く自分の意識通りにコントロール出来ない。
尿道には今まで、管が入っていたため、おしっこを意識しても、竿が痛くてたまらないし、まして大便なんて、全く自分の支配下にない。出たんだか、どうかもはっきりしないし、もう良いかと、ウオシュレットで洗浄して、ペーパーで拭き取ると、まったくもって、途中だし。
とにかく自分でコントロールできず、自然に垂れ流すようにしていたら、かなりの時間経過のようで、ナースから大丈夫かと声が掛かる。
ようやく、おしりの穴の感覚が自分の支配下になった頃合いを見出し、区切りがつき、作業終了となる。
大変な作業でした。
ある日、4人部屋の窓側の人が部屋替えで出ていくために支度を始めたので、隙をみてナースにあのベッドに移れないかと聞いたところ、ダメと即答。
どうせなら窓際の方が、景色が良いし、少しくらい西日で暑くても構わないのだがと思っていた。
翌日、部屋替えだと言われた。
今度は2人部屋とのこと。
ちょっと、待ってください。2人部屋では料金が高いではないですか。
と抗議したところ、
「男性部屋が満床の為空床になるまで大部屋扱いとする」
という、
「個室差額減免申請書」
という書類にサインしてと言われた。
これで2人部屋でも大部屋扱いで料金は変わりませんということ。
わかりました。すぐにサインすると、あと1時間くらいで部屋替えだと追い立てられた。
良い部屋ではないですか。スペース的には4人部屋を2人部屋にして、2人で使うような、贅沢仕様。
私の後にすぐ、もう1人、引っ越してきた。
後から、一緒にリハビリをすると、あの集中治療室のとなりにいた、85歳の人と判明した。
私のわがままで、部屋替えさせられたのかと、勘ぐっていましたが、術後同じサイクルのリハビリ患者と同室にしたのではと、自分に都合よく解釈しています。
ただ、海側でなくて山側の為、景色は良くないが、これ以上贅沢は言いません。
ナースやドクターの検診によれば、術後の経過は順調だとのこと。
リハビリも順調で、日々歩く距離が、一般病棟に戻ってから、80メートルからスタートで160,240,320,400メートル。そして階段の上下と確実に伸びているが、歩きながら、こんな状態で電車なんかに乗れるのかと不安も拭い切れない。
しかし、なるようにしかならないので、焦ること無く、一歩一歩前に進むしかないと自分に言い聞かせる。
そして、ついにリハビリ室までステージは上がり、自転車漕ぎである。
ここまでくると、自分でも退院は近いなとわかる。
そして最後のコード。心臓に直結のコードで心臓に直に電気を流して、心臓を呼び起こすためのコード。(リードと呼ばれている。)
ドクターが突然来て、リードを外すよと言われ、あっという間に外してくれた。
これでシャワーを浴びることができるそうである。
これがリード。